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隻狼考察③葦名一心と弦一郎

弦一郎の出自には謎が多い。一国の主である一心の孫にしては冷遇されている印象が強い。一心の孫であるのに異端であるとされ、市井の生まれであり、母親の死後にようやく城へ引き取られている。剣術も葦名流という立派な流派があるにも関わらず、師はかつての竜胤の御子の従者である巴で、一心のように他の流派を取り入れることもしていない。 葦名流道場にはかつて葦名に来た「あやかし」の雷に対抗するための雷返しの掛け軸が掛けられており、これが弦一郎撃破の大きなヒントとなっている。弦一郎の巴流は葦名衆からすればかつて戦った敵の異端の技なのである。 弦一郎の出自の謎は一旦置くとしと、北欧神話の主神オーディンが一心と共通点が多いことを紹介したい。 ・両者とも隻眼 ・オーディンの槍グングニルと、ルートにもよるが剣聖である葦名一心が取り出す大槍 ・オーディンは知識に貪欲であり、一心も様々な剣術を求めて各地を遍歴 ・各地を放浪したことからオーディンは嵐の神とも。一心も槍持ち時に天候が雷雨となる。 ・オーディンは時々姿を変えたり変装する。一心も「葦名の天狗」に変装している ・オーディンの戦時の姿は金の兜に青のマント、一心は金の兜飾りに青の着物 ・オーディンはラグナロク(最終戦争)の際にフェンリルという狼に殺される。一心と対峙することになる主人公の名は狼 ・オーディンは軍神であり戦場にヴァルキリーを遣わせ勝利すべきとした側に助力する。一心が竜胤の力を手にしようとする弦一郎を止めるべく狼にエマを遣わせた(花菖蒲の文を投げ入れその後援助する)ことに通じる ざっと共通点を挙げるだけでもこれだけある。完全に同一ではないが、オーディンが一心のモデルの一部であるのは十分に考えられる。ならばオーディンの家系に弦一郎に似た神はいないかと調べたところ、興味深い神が見つかった。雷神トールの義理の子供ウルである。 オーディンの子の1人雷神トールの妻の1人シヴ(美しい金髪を持つとされる豊穣の女神らしい)には連れ子ウルがいた。つまりオーディンの血は直接引いていないと考えられる。 ウルは光輝く、栄光などの意で、弓、決闘、狩猟、そしてスキーの神(さすが雪深き北欧)。古くはより地位の高い天空神であったともされる。 もしもこのウルという神が弦一郎のモデルであれば、彼が市井の生まれ(主神の血を引いてい

隻狼考察②仙峰寺と鐘鬼について

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「能ゲーム、能ライフ」、第2回は仙峰寺について。今回は能の話あり。 仙峰寺は京都に実在する清水寺と酷似している。有名な清水の舞台は勿論、場所は違えど対応する建物が多くある。本堂周辺の図を作成したのでご覧いただきたい。 図に加えて解説。 ・清水寺、仙峰寺共に本堂の本尊は千手観世音菩薩。 ・随求堂での胎内巡りは隻狼作中の洞窟。変若の御子も仙峰上人がそこで胎内巡りをしたっきり出てこないことを教えてくれる(筆者も昔胎内巡りを体験した)。 ・変若の御子の居場所である奥の院は清水寺では別の場所、音羽の滝の真上にある。清水寺の名の由来ともなる清らかな水が流れる小さな滝。奥の院は清水寺を創建した行叡居士らが修行した場所で寺内で最も古い歴史を持つと言える。また、奥の院の本尊も千手観世音菩薩である。 この他にもまだ共通する建造物や場所がある。 ・仁王門(阿形と吽形の金剛力士像がある門)。作中では捨て牢経由で到着後左奥に坂を登って行った辺りにあり、僧がたくさんいる場所。 ・小太郎が欲しがっている赤と白の風車のある地蔵群は清水寺の千体石仏群に相当する。日本で地蔵は子を守る存在として崇められる。地蔵菩薩はサンスクリット語でクシティ(大地)ガルバ(子宮)といい、大地のような広い心で抱く仏。地母神のような存在か。 ・清水寺では鐘楼は仁王門から少し離れた場所にある。作中では厄憑の鐘として地蔵群と甲冑武者のいる廊下の奥の崖にある。 鐘について補足を。 厄憑の鐘を突くと鐘鬼が憑き、敵が強化される代わりにドロップアイテムが増える効果を得られる。ダークソウルシリーズでは蛇は竜のなりそこないであり、大きな口で自分以上のものを飲み込むことから貪欲な存在とされていた。モデルかどうかははっきりとしないが、近い話として能の演目「道成寺」にもなった「安珍・清姫伝説」というものがある。 あらすじ。修行僧の安珍は和歌山の熊野詣の途中に真砂庄司というものに一晩泊めてくれと頼む。その家の娘、清姫は安珍があまりにも美青年であったため一目惚れし、熱烈に(夜這いするほど)恋い慕う。修行僧である安珍はこれを拒み、熊野詣の帰りに寄ると約束する。 しかし約束の日になっても安珍は来ない。怒った清姫は安珍を追いかけ、ついに追いつくが人違いだと嘘を吐かれる。逆上する清姫。彼女から逃げたい一心で

隻狼考察 ①長手の百足・仙雲とジラフ

入院していたため発売から1ヶ月以上経ってようやくプレイ開始、そして1周目をクリア。もう当分、お年寄りと戦うのは勘弁したい。『隻狼』は生死と親子関係、随所に能の幽玄、神道、仏教文化がちりばめられ、そしてダークソウルやブラッドボーンとの繋がりを薄っすら(一部では強烈に)感じさせられる作品だった。 いまその繋がりを書くには自分にとって早急すぎるのでプレイ中に気づきあるいは調べた人物やオブジェクトの比較的簡単な解説をしていきたい。 このシリーズを「能ゲーム、能ライフ」と銘打っていく(どこかで聞いたことがあるって?ライトノベルで有名だが元を辿ればタワーレコードのキャッチコピー「No music,No life」が先である。本歌取りは続くのだ)。 本題へ。仙峰寺の五重塔で何やら呟きながらひたすら火に向かって祈っている長手の百足・仙雲。彼は一体何をしているのか。アイテム「六の念珠」に彼ら百足衆の記述がある。 六の念珠(抜粋) 百足衆は、己の「星」を探す者たちだ 星を見出せば、それに仕え、時に名すら変える 百足衆の長は「長手」と呼ばれ、鉤爪を持つ 百足衆は星を探しているのだと。密教の占星法は九曜(9個あると信じられた惑星)と北斗七星のうちの1つをその者の生まれ星とし、それらと1年ごとに巡ってくる星が運命を左右すると信じられた。要するに西洋の星座占いのようなものである。 それらの星に願い事をし災いを退けるようとする行いが、あの火に祈る護摩供養である。本来は立春、冬至、旧暦の元旦に行う行事だそうだが、見たところ仙雲たちはずっとやっているようである。一所懸命。星に願いを。百足衆は意外にもロマンチストである。 ではもう1人の百足衆の長、長手の百足・ジラフは落ち谷方面で何をしていたのか。 1つ考えられるのは鉱物採集の役目。坑道がムカデに似る、土を掘り進むことがムカデのようであることから鉱物掘りをする者らがムカデと関連づけられることがあったという。 ウィキペディアのムカデのページ、モチーフ象徴 の部分を参照していただきたい。刀、鉄砲、鎧など鉱物はとにかく重要な素材であり、貴重な財源であったはずである。 もう1つ考えられるのは伝令の役目があったのかもしれない。いままでのリンク先でも見かけられたが こちら のブログにて武田氏が伝令を百足衆と呼ん