能ゲーム・能ライフ④翁

前回の結びに能の演目「翁」は能にあって能にあらずと書きましたが、これはどういうことなのか。また隻狼の桜竜の周りにも白木の翁(と黒いの)がいましたね。今回はこれらのお話を進めていきましょう。


「翁」が能にあって能にあらずとは

前回でも少し触れましたが、翁の舞には伝説があります。奈良の春日大社の影向の松に春日大明神が翁の姿で降臨し、万歳楽を舞ったというものです。

短いのに用語がたくさんでてきました。説明をいれましょう。

春日大明神:春日権現とも。権現とは神仏習合の神であり、仏教の神が日本の神道の神として現れること。また現れた神そのもの。ここでは後者ですね。
影向(ようごう):神仏が仮の姿をとって現れること。
万歳楽(まんざいらく):雅楽や唐楽の曲。万歳の名のとおりおめでたい時の曲。

つまり神様がおじいさんの姿でやってきておめでたい舞を舞ったのです。この伝説から、平安時代にこの松の前で芸能を披露する祭が始まりました。加えて能舞台のうしろ(鏡板)に描かれる老松(おいまつ)はこの影向の松がルーツとなったそうです。

この祭で舞われるのが神聖な翁舞なのです。続いて猿楽や田楽の座(グループ)による余興芸が披露されるようになったそうです。現在でも毎年12月17日に春日若宮おん祭の松の下式(まつのしたしき)と呼ばれる式で雅楽、神楽、舞楽、そして能の奉納が続けられているそうです。

この神聖な翁舞、聖職者によって行われていたのですが、いつしか猿楽師が担当するようになりました。余興であった猿楽能が人気になってきたからだそうです。しかし元は神聖な儀式なので猿楽師たちが舞うものの「翁」は能にあって能にあらず、ということだそうです。


翁の特徴・白式尉と黒式尉



天下泰平、国土安穏、子孫繁栄、五穀豊穣を願うのが「翁」です。尉(じょう)とは老人の意味だそうです。翁の面はほかの面と違い「切り顎」という独特の仕様で、これが猿楽以前から儀式に使われていた名残だそうです。「翁」は別名「式三番」ともいうのですが、白式尉と黒式尉の前にあった父尉(ちちのじょう)が省略されたものの呼び名が変わらなかったため2部構成なのにこう呼ばれるそうです。

面は柔和な老人の顔で「ぼうぼう眉」というぽわぽわした眉毛が特徴です(白式尉のみに描きましたが、ぼうぼう眉の黒式尉の面もあります)。黒式尉は野良仕事でよく日に焼けた老人を表しているそうです。種まきのようなしぐさの舞に豊穣の祈りがよくあらわれています。

翁の舞の一例はここから見られます。すべて見ると大変時間がかかりますが、最初の10分くらいでも他の能を知っているとおや?と思うかもしれません。まず、千歳(せんざい)という露払いの役が舞う間にシテは翁の面を鏡の間ではなく舞台で掛けます。また他の能のように物語があるわけではなく、セリフや謡(うたい)は長命の鶴や亀の様子、天下泰平国家安穏の祈祷を旨としています。このように「翁」はとても儀式性の高い舞なのです。

3分ダイジェストでわかる翁動画もここからどうぞ。ダイジェスト翁ではシテの持つ扇がはっきりと見えますね。翁の持つ扇は蓬莱山図(ほうらいさんず)と呼ばれる柄です。金地に青海波、そこに浮かぶ亀の背には立派な松と竹。空には鶴と仏が乗るといわれる吉兆を表す紫色の雲。たいへん豪華な模様が描かれています。

どちらの動画でもチラリとしか映りませんが、「翁」を行う能舞台には注連縄(しめなわ)と紙垂(しで)が飾られています。しめ縄はそこが神の領域であることを示し、紙垂はあの独特な段々の形からもうかがえるように雷・稲妻をかたどった邪を払うものだそうです。

こちらの解説動画では千と千尋の神隠しに登場した翁に触れています。オクサレ様と思われた神が実は名のある川の神で千たちによってキレイに洗われたあと、竜の身体に白式尉の面の姿になり「良き哉」と言って砂金を置いて去っていきました。日本では水(淡水)の神の象徴や神そのものとして蛇や竜が祀られています。あのオクサレ様だった神様もそうだったのでしょう。
稲作民の日本人にとって水は大切です。川が長く曲がりくねる様子や、大雨などで荒れ狂い時に財や命を奪うさまから、きっと竜や蛇を思い起こさせたのでしょう。これら日本人の水の神への信仰が隻狼では竜泉川の名前や白蛇信仰、そして源である桜竜に結び付いています。

桜竜に拝涙をさせてもらう前、白木の翁とその黒い姿のものが出てきました。面(おもて)こそつけてはいませんが、あれが「翁」の演目でいう白式尉と黒式尉にあたる存在でしょう。さきほど説明した伝説の通り、翁は神ですが、それらが桜竜に仕えている様子から桜竜がより高次な存在、より偉い神ということになります。

こちらのブログさんで白木の翁(と黒)の戦いは桜竜への奉納の舞だと考察されています。なるほどなぁと感服いたしました。


老人と幼子の神性

ありがたいですが人の考察頼みに終わってしまうとなんだか締まらないので最後に余談を。昔はとくに人間の寿命は短いですから、長生きした老人はそれだけですごい存在なのです。一定の年齢になったことを祝う年祝い、77歳の喜寿、88歳の米寿、99歳の白寿など聞いたことがあるとおもいます。老人は生きながらに翁(神)に近づいていくのです。

また現世に生まれてから時を経ていない子供もまた神に近い存在とされていました。そのため各地で幼子は神の依り代や祭りの儀式の担い手として役割があったそうです。有名なところでは京都の八坂神社の祇園祭で神の使いとなった稚児が太刀でしめ縄を切って山鉾が神域に入ることを許可する儀式があります。有名な儀式なので7月あたりにニュースなどで見たことがある人もおおいのではないでしょうか。

これと隻狼になにが関係あるの?と言われますと、葦名一心は老齢でありながら天狗に変装して圧倒的な力で孤影衆らを倒していたり、また剣聖(あれは全盛期の勢いを取り戻していますが)や修羅として狼に立ちはだかる存在です。
また、竜胤の御子も竜胤の力を宿しながらに生まれるようですし、若水の御子も寺の実験で力を手にしてから長い時を経ているようですが子供の姿のままです。彼らの力は皆神の領域に近い年齢、あるいは現世に生まれる前だからこそ得られたものなのでしょう。もちろん死んでいった若水の御子候補たちのように皆が得られるわけではありませんが。


さて、能ゲーム・能ライフとしては現在語れるところはあらかた語り終えた感があります。また勉強してまいりますので別の企画か、別の記事でお会いしましょう。さいきんnoteもはじめてフロムに関係ないことを話したりもしています。では、また。

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