隻狼の聖地?清水寺探訪記②

前回は本堂周りの写真を添えておしまいになってしまったので今回はもう少しお話(うんちく)に力を入れます。


清水寺はその敷地の中に地主(じしゅ)神社があります。地主神社へお参りするにはまず参拝料を払って清水寺の境内に入り、舞台を渡って本堂の後ろ側へ回りこむ必要があります。敷地が隣接している寺社は多いでしょうが、地主神社の場合は中にあります。「in清水寺」です。もともと地主神社のほうが京都がまだ海だったころから神聖な土地として崇められていたそうですが、どうしてこんな立地になったのでしょうか。

縁結びの神様として超人気スポット。恋みくじがいっぱいある。敷地が小さいこともあるのか今は桜の木は階段真ん中左にひっそりと植えられているだけでした。



神仏習合について

地主神社の場所がとても変わっていることを説明するために歴史のお話をします。日本書紀に書かれているように日本人(大和朝廷の人々といったほうがいいですね)は独自の宗教、神道を信仰してきました。イザナギとイザナミの国産みの話とかです。飛鳥時代になり大陸の先進的な文化知識とともに伝わった仏教を聖徳太子らが篤く信仰したことで貴族らの間に広まりました。

子供のときにしゃかいの授業で習ったときは「へ~」としか思わなかったのですが、神道と仏教を両立してるって不思議ですよね。神道でいうと天皇の一族は神の子孫ですから、神道を否定すると最高権力者の否定になります。だからどうにかして妥協点を見つけないといけない事情があったのかなぁとわたしは考えます。

そこで神道と仏教をうまく(都合よく)解釈したのが本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)です。じつは仏様は神道で信仰されていた神に姿を変えて現れてたんだよ!という説です。

こうして人々は仏様も神様も信仰してきました。これが神仏習合の話です。この思想が顕著に表れているのが清水寺と地主神社の位置だそうです。戦乱や明治時代の廃仏毀釈政策、第二次大戦後に神社が国家の庇護を離れてからもずっと変わらずにあり続けているということです。


ちなみに、清水寺のご本尊は千手観音像なのにどうして大黒様もいるのかというと、本地垂迹説はヒンドゥー教の神様に適用されていて、シヴァ神の姿の1つマハーカーラ(偉大な黒い神などの意味)を大黒天として仏教に取り入れられていたそうです。本地垂迹説、日本が初出じゃありませんでした。


隻狼の奥の院と地主神社の場所

今となってはちょっとこじつけかなぁとも思いますが、前の記事の画像に書いた通り、仙峯寺の本堂と奥の院、清水寺と地主神社の位置関係が似ています。それだけっちゃそれだけですが、仏教以外への信仰のある場所なのが共通します。


地主神社と桜

地主神社には桜にちなむ話があります。田村麻呂を征夷大将軍として重用した嵯峨天皇(764-842年)が足を運んだ際に地主神社の桜が見事だったので牛車を方向転換させて何度もご覧になったそうです(御車返しの桜)。当時の桜はおそらく山桜でしょうか。
花といえば桜だと古典の授業では習いましたが、894年に遣唐使が廃止されるまでは花と言えば梅でした。花見も梅の花が対象だったようです。嵯峨天皇の御車返しの話は記録に残る最初の桜の花見だそうです。


能『熊野』

能にも桜の花見にちなんだものがあります。『熊野(ゆや)』(世阿弥作)では平宗盛の愛妾・熊野(ゆや)の母親が故郷の遠江(とおとうみ)に残してきた母から余命いくばくも無い旨の手紙を受け取り宗盛に暇を乞うも、宗盛は彼女を連れて清水寺のほうへ桜の花見へ出かけてしまいます。宴が始まり母を案じつつも舞を披露する熊野。ところが急な雨に桜が散り、その様子を見た熊野は母親の命と散りゆく花を重ね合わせて歌を詠みます。その歌に心動かされた宗盛は熊野に帰郷を許したのでした。

鐘楼付近にあるフジ桜の木。日本に自生する野生種の1つだそうで、富士山麓や箱根に自生していることからこのような名前に。ハコネザクラとも。たいていはマメザクラと呼ばれるそうです。



桜と能の話になったのでもう一つ。(同年12/22追記)


能「田村」

ある春の日、清水寺を訪れた東国の僧が地主権現(権現:仏が日本の神になった姿のこと)に仕える者だという少年と出会います。少年は僧に清水寺のことを教えてくれます。
少年の寺の話を聞くうちに日が暮れ、桜が月明りに照らされる春の宵になりました。少年と僧は「春宵一刻値千金」の詩文を口ずさみ清水寺の桜を楽しみます。少年は景色を称えながら舞い、田村麻呂ゆかりの「田村堂」という建物に入ってしまいました。
残された東国の僧に清水寺の門前の者(近所の人ですね)がその少年はきっと田村麻呂の化身だろうと話します。
夜半、僧が法華経を読んでいると武者姿の田村麻呂の霊が現れます。そしてかつての武勇を見せ、それらは観音様の仏力のおかげだと言い幕が終わります。

世阿弥作と伝えられている能の「田村」のあらすじを読んでいても春の夜の美しい景色が目に浮かぶようです。「田村」は死者が前半で仮の姿を、後半で本当の姿を現す夢幻能の形式です。世阿弥の能ですから、作られたのは室町(隻狼の時代とおなじくらい)あたりでしょうか。このころはもう清水寺は桜が美しいと定着しているのがわかります。

以上追記おわり


変若の御子のお米

お米ちゃんの愛称がプレイヤーにすっかり定着している変若の御子。彼女からもらったお米でなんとかギリギリでラスボスを倒しました。ありがとうお米、お米は大事。
こちらのサイトではお米ちゃんのモチーフを日本神話のオオゲツヒメに見ていますが、わたしは別の思いつきをしていました(そもそもツクヨミとかの関連も思いついてなかった)。

じゃあ何を考えていたかというと、源の宮の淤加美の女武者や巴に稽古をつけてもらった弦一郎などが使う雷の力です。これは元をたどればすべての根源の桜竜の力です。拝涙するときに雷やら突風のような衝撃波などいろいろ体験しました。あれです。

雷は稲妻とも言いますが、この妻は奥さんだけを指すのではなく古語では配偶者の意味です。古来日本には稲と雷が交わることで稲が実をつけるという信仰があったそうです。実際、雷が鳴り雨が降れば干ばつの心配はありませんし、雷の放電によって雨に溶ける窒素の量が増えてその雨がふりそそぐ土の栄養も増えるそうです。詳しくはココをどうぞ。

長く書きましたがまとめますと、変若の御子のお米を生み出す力は雷と稲の関係に似ているということです。稲にとって実(米)は種、子供ですから、この力は変若の御子が女性であることも一因があるかと思います。



前回地図を作ろうと思って紹介する施設に番号を振りましたが
今回ぜんぜん施設紹介になりませんでした!

リンク以外の参考ホームページ

清水寺よだん堂 https://www.kiyomizudera.or.jp/yodan/
テッ(かねへんに夷)仙会 能楽辞典 http://www.tessen.org/dictionary/explain/yuya
能.com  https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_028.html

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